文鉄・お札とコインの資料館

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企画展 戦時中のお金


※おことわり:このページに記載の内容は2022/07/15現在のものです。以降の誤記等の修正により必ずしも常設展ページの記載と一致しないことがあります。また、ここに掲載の貨幣は一例であり、前述時点で収集した貨幣を表示しています。



この企画展の対象年齢は小学校3年生以上としています。一部はコラム貨幣で語る近代日本史を再編集しています。明治時代から現代までのお金についてはこちらもご覧ください。



プロローグ - 戦時中のお金にようこそ

満州事変・日中戦争の勃発 (1930年〜)

    1931/09/18に現在の中華人民共和国瀋陽において当時の大日本帝国関東軍が鉄道線路を爆破し、これを中国軍によるものと発表し侵略の口実とした満州事変が、そして1937/07/07に中国北京で日中両国の軍事衝突が起きた盧溝橋事件が発生し日中戦争が勃発します。
    当時日本の貨幣制度は貨幣法という法律により規定されており5厘と1銭貨幣は青銅貨、5銭と10銭貨幣は白銅貨、20銭と50銭貨幣は銀貨、それ以上の額面は金貨と定められていました。満州事変の勃発により軍需物資としてのニッケルの備蓄が必要となったため貨幣法が改正され5銭と10銭貨幣はニッケル貨幣となりました。デザインは公募により選ばれ当時の世相を反映してか、国粋主義・軍国主義的なデザインが目立ちました。

    1938/06/01に「政府は必要がある時は貨幣法第3条に規定するもののほか、臨時補助貨幣を発行することができる」と定められた「臨時通貨法」が施行されます。これは額面や材質が細かく規定されていた貨幣法では材質の変更に法の変更が必要となり、国会での審議、可決までタイムラグがあるため戦時のような情勢が急激に変化する中では従来の貨幣法では対応しきれないためでした。また貨幣の材質が規定されていないことから非金属でも良いという解釈ができるようになり、50銭貨幣は銀貨から紙幣に変わりました。明治時代に現在の日本のお金の単位である「円」が制定されてから長年発行されてきた50銭銀貨はこれで発行停止となり、以降今日に至るまで発行されることはありませんでした。

    当時の50銭は現在の500円や1000円に感覚が近く、銀貨の代わりに発行するということもあり、非常に品位のあるデザインとなりました。貨幣の代わりとして発行されたため「日本銀行券(日本銀行兌換券)」ではなく「大日本帝国政府紙幣」となっています。日本銀行券はたとえ1円券であっても100枚でも200枚でも使うことができますが、この50銭券はあくまで貨幣の代わりであるため現在の貨幣の通用枚数と同様20枚までの通用となっています。

    1930年代初頭にはニッケルで製造されていた5銭と10銭の貨幣はニッケルを軍事転用することとなりアルミニウム青銅へ、1銭貨幣は青銅から黄銅へと材質が変わりました。特に1銭は大正時代から発行されており大正ロマンも感じさせるようなデザインでしたが、公募により国粋主義的なデザインへ改められました。

太平洋戦争の勃発と管理通貨制度への移行 (1940年〜)

    1941/12/08には日本軍がアメリカハワイの真珠湾の奇襲攻撃を行い太平洋戦争が勃発します。すでに満州事変から続く日中戦争は10年に突入しており、終わりの見えない戦争の中で金属の枯渇はより一層深刻となります。1942/02/24には日本銀行法が改正され、従来名目上金の価値により通貨の価値が定められていた金本位制が廃止され管理通貨制度に移行します。これにより金貨への兌換をしないことになったため、「日本銀行兌換券」や「此券引換に金貨◯円相渡可申候」といった兌換表示がなくなり、今日のような「日本銀行券」となります。アメリカやイギリスが敵国となったことで紙幣に限らず敵性語排除と言われる英語排除の機運が高まりこの時期以降に発行された日本銀行券から一斉に英語表記(◯◯YEN)が抹消されます。これは台湾や朝鮮といった当時の日本領で使用する銀行券も同様でした。

    当時日本銀行券を印刷していた印刷局では台湾や朝鮮といった当時の日本領で使用する銀行券のほか、軍票や国債などの印刷も行っており需要が急増し、さらには資材の不足なども重なり印刷の省力化が図れることとなります。たとえば、発券局長(文書局長)の印鑑をうら面からおもて面に移動、番号を省略し記号を総裁印と同様の赤色にて印刷、使用する色の少数化、すかしの変更が行われました。特に印刷品質は凹版や凸版からオフセットへ変更され現在ではあたかも偽造紙幣と扱われかねない品質の紙幣となりました。

    金属を使用する貨幣は紙幣以上に深刻な状況に陥っていました。1940年代になると軍需物資として銅の需要が高まり、1銭貨幣、5銭貨幣、10銭貨幣全てがアルミニウム製となりました。しかしこれも長続きせず、頻繁に厚さや重さの変更が行われました。たとえば1銭貨幣は1938年には重さ0.9gだったものが1941年には0.65g、1943年には0.55gとなり、厚さも徐々に薄くなりました。

    1938年に発行された50銭券はデザインとして美しいものでしたが、資材不足と省力化の時勢が相まり1942年にデザイン変更が行われ、図柄が靖国神社となりました。すでに印刷局は需要が逼迫しており、この紙幣は凸版印刷により製造されました。

太平洋戦争末期 (1943年〜)

    日本の敗戦が濃厚になってくるに連れて、軍需物資としても使用していたアルミニウムも枯渇しいよいよ貨幣を作る金属がなくなってきました。1944年には当時日本が勢力下においていた東南アジアで採掘できた錫が貨幣の主たる材質として使われるようになりましたが本来であれば錫は溶けやすい上柔らかく、偽造貨幣の製造にも用いられるような金属ですが当時の日本にはこの選択肢しかありませんでした。しかし、制空権や制海権を失うと錫の輸送も困難となりわずか数ヶ月で5銭貨幣と10銭貨幣の製造は打ち切られることになり、日本銀行券として発行されることになりました。これらの5銭券、10銭券には「大日本帝国印刷局製造」とありますが実際の印刷は民間の印刷会社で行われました。

    錫の入手すらもままならない状況となり、金属の枯渇状況はもはや貨幣の製造すら不可能に陥ります。当時は本土決戦や一億玉砕が叫ばれていた時期でいつ戦争終結となるのか見込みが立たない状況でした。いよいよ貨幣は金属以外の材質を検討するようになり、瀬戸焼や有田焼などの陶器で作られることになりました。実際に1銭、5銭、10銭貨幣が作られましたが、終戦を迎えることとなり実際に発行されることはありませんでした。

    紙幣においても1945年の終戦間際にはさらに省力化された10円券、100円券の製造が開始されます。これらは国民にはいわゆる大本営発表を宣伝しておきながら、政府内部では敗戦が濃厚ということは既知の事実であり、「万一の時」へ向けてあらかじめ準備しておいたものでした。これら紙幣は終戦後の1945/08/16に発行されました。

    敗戦直後には非常時としてさらに省力化された10円券や高額現金需要に答えるための500円券や1000円券が印刷されました。この10円券は昭和初期に定められた寸法よりも小型化し、効率化を図ったものでしたが出来栄えはよいものではなく、たまたま印刷局を視察した大蔵大臣が偶然見つけ、発行を取りやめたとされてます。500円券や1000円券については最高額紙幣の100円よりも5倍および10倍の額面であるにもかかわらず、これまた出来栄えがすぐれないということで発行が取りやめになりました。

      ●発行が取りやめとなった10円券、500円券、1000円券

      おもて :
      うら :

エピローグ - 終戦後の変化

また、終戦直後から猛烈なインフレーションが発生し、物価の高騰を招きました。これは戦時中に国家総動員法により統制されていた物品の公定価格が崩壊し爆発的に物価が上昇、また戦時中は国民精神総動員によって「ぜいたくは敵だ」「欲しがりません勝つまでは」「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」などの標語で頭ごなしに押さえつけられていた国民の物欲のブレーキが外れ、さらに終戦による軍人への退職金の支払いなど様々な要因が重なり一度に銀行券需要が増大したためで、終戦当日は293億円であった日本銀行券の発行残高はわずか半月(8月末日)で423億円へと膨れ上がります。

価格の高騰は猛烈なもので公定価格として制限されていた駅にあるような立ち食いそば店でのかけうどん・そばが戦前(1940年)では15銭だったのに対し、終戦後の闇市での代用うどん(現代でいう魚肉ソーセージのようなものをうどん状にしたもの)の価格は5円(15銭の約35倍)であったといわれています。

1946年にはこうしたインフレーションを打開するため「新円切り替え」と呼ばれる流通紙幣の強制預入と預金封鎖が1946年に行われ5円以上の日本銀行券が失効することとなり、さらにはこの新円切り替え後にも進んだインフレーションによる通貨単位の整理のために1953年に「小額通貨の整理及び支払金の端数計算に関する法律」が施行され1円未満の紙幣と貨幣が失効し、奇しくも終戦前の多くの紙幣と貨幣が失効しました(その後1987年に「通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律」が施行されたことで戦前の金貨が失効したことで1円券を除く終戦前に発行された全ての紙幣と貨幣が失効しました)。

紙幣や貨幣はその時代背景を反映する鏡と言われますが、戦前から戦中に向かって世相の変化によって紙幣や貨幣の図柄も変化してきました。終戦を迎えるとうってかわってハトなど平和的な図柄が用いられました。紙幣や貨幣の図柄を通じて当時の国民の暮らしに思いをはせてみませんか?

一部の紙幣画像は以下の書籍から引用しました:
日本近代紙幣総覧(ボナンザ 1984年)

企画展 戦時中のお金 開催中 戦前から、戦争が進むにつれて変わっていったお札やコインの図柄や品質、戦後のデザイン変化を探ってみよう。





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