企画展 戦時中のお金
※おことわり:このページに記載の内容は2022/07/15現在のものです。以降の誤記等の修正により必ずしも常設展ページの記載と一致しないことがあります。また、ここに掲載の貨幣は一例であり、前述時点で収集した貨幣を表示しています。

この企画展の対象年齢は小学校3年生以上としています。一部はコラム貨幣で語る近代日本史を再編集しています。明治時代から現代までのお金についてはこちらもご覧ください。
これは過去に実施した企画展のアーカイブとなります。
- プロローグ - 戦時中のお金にようこそ
- 満州事変・日中戦争の勃発 (1930年〜)
- 太平洋戦争の勃発と管理通貨制度への移行 (1940年〜)
- 太平洋戦争末期 (1943年〜)
- エピローグ - 終戦後の変化
もくじ
プロローグ - 戦時中のお金にようこそ
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みなさんは紙幣や貨幣についてどんなイメージを持っていますか。細かな模様が印刷されていたり、貨幣もなんだかしっかりしたものというイメージではないでしょうか。
●現在発行されている紙幣 (2000年、2004年〜)
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図柄および肖像 :
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●現在発行されている貨幣 (1955年、1959年、1967年、2021年〜)
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1円アルミニウム貨(1955年発行) 5円黄銅貨(1959年発行) 10円青銅貨(1959年発行) 50円白銅貨(1967年発行) 100円白銅貨(1967年発行) 500円バイカラー・クラッド貨(2021年発行)
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●1000円券の移り変わり
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図柄および肖像 :
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●500円貨幣の移り変わり
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満州事変・日中戦争の勃発 (1930年〜)
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1931/09/18に現在の中華人民共和国瀋陽において当時の大日本帝国関東軍が鉄道線路を爆破し、これを中国軍によるものと発表し侵略の口実とした満州事変が、そして1937/07/07に中国北京で日中両国の軍事衝突が起きた盧溝橋事件が発生し日中戦争が勃発します。
当時日本の貨幣制度は貨幣法という法律により規定されており5厘と1銭貨幣は青銅貨、5銭と10銭貨幣は白銅貨、20銭と50銭貨幣は銀貨、それ以上の額面は金貨と定められていました。満州事変の勃発により軍需物資としてのニッケルの備蓄が必要となったため貨幣法が改正され5銭と10銭貨幣はニッケル貨幣となりました。デザインは公募により選ばれ当時の世相を反映してか、国粋主義・軍国主義的なデザインが目立ちました。
●5銭貨幣の移り変わり
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●10銭貨幣の移り変わり
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当時の50銭は現在の500円や1000円に感覚が近く、銀貨の代わりに発行するということもあり、非常に品位のあるデザインとなりました。貨幣の代わりとして発行されたため「日本銀行券(日本銀行兌換券)」ではなく「大日本帝国政府紙幣」となっています。日本銀行券はたとえ1円券であっても100枚でも200枚でも使うことができますが、この50銭券はあくまで貨幣の代わりであるため現在の貨幣の通用枚数と同様20枚までの通用となっています。
●当時発行されていた50銭貨幣
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●政府紙幣として発行された50銭券
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●アルミニウム青銅となった5銭、10銭貨幣
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●デザインが改められた1銭貨幣
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太平洋戦争の勃発と管理通貨制度への移行 (1940年〜)
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1941/12/08には日本軍がアメリカハワイの真珠湾の奇襲攻撃を行い太平洋戦争が勃発します。すでに満州事変から続く日中戦争は10年に突入しており、終わりの見えない戦争の中で金属の枯渇はより一層深刻となります。1942/02/24には日本銀行法が改正され、従来名目上金の価値により通貨の価値が定められていた金本位制が廃止され管理通貨制度に移行します。これにより金貨への兌換をしないことになったため、「日本銀行兌換券」や「此券引換に金貨◯円相渡可申候」といった兌換表示がなくなり、今日のような「日本銀行券」となります。アメリカやイギリスが敵国となったことで紙幣に限らず敵性語排除と言われる英語排除の機運が高まりこの時期以降に発行された日本銀行券から一斉に英語表記(◯◯YEN)が抹消されます。これは台湾や朝鮮といった当時の日本領で使用する銀行券も同様でした。
●10円券の移り変わり
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肖像 :
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●台湾銀行券の移り変わり
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●朝鮮銀行券の移り変わり
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●同じデザインの紙幣で省力化が図られたもの
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●アルミニウムとなった1銭、5銭、10銭貨幣
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●政府紙幣として発行された50銭券
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太平洋戦争末期 (1943年〜)
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日本の敗戦が濃厚になってくるに連れて、軍需物資としても使用していたアルミニウムも枯渇しいよいよ貨幣を作る金属がなくなってきました。1944年には当時日本が勢力下においていた東南アジアで採掘できた錫が貨幣の主たる材質として使われるようになりましたが本来であれば錫は溶けやすい上柔らかく、偽造貨幣の製造にも用いられるような金属ですが当時の日本にはこの選択肢しかありませんでした。しかし、制空権や制海権を失うと錫の輸送も困難となりわずか数ヶ月で5銭貨幣と10銭貨幣の製造は打ち切られることになり、日本銀行券として発行されることになりました。これらの5銭券、10銭券には「大日本帝国印刷局製造」とありますが実際の印刷は民間の印刷会社で行われました。
●錫がメインとなった1銭、5銭、10銭貨幣
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●日本銀行券となった5銭、10銭券
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●陶器で作られた1銭貨幣
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●さらに省力化された10円券、100円券
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●発行が取りやめとなった10円券、500円券、1000円券
おもて :



うら :



エピローグ - 終戦後の変化
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終戦後日本を間接統治したGHQによって、紙幣や貨幣から軍国主義や国粋主義な図柄を用いることが禁止されます。たとえば、これまでの紙幣にあった武内宿禰や和気清麻呂といった肖像、八紘一宇塔などの図柄が一掃されハトや国会議事堂などが、貨幣についても瑞雲や八咫烏などからハトや稲穂などの図柄が用いられました。終戦したことで軍需物資が貨幣の製造に使えるようになりアルミニウムや黄銅が復活することになりました。これまでの貨幣にあった「大日本」という国号は「日本政府」や「日本国」に代わり、紙幣や貨幣にあった菊花紋章も姿を消しました。
●戦中と戦後に発行された10銭券
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●戦中と戦後に発行された10銭貨幣
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●貨幣の国号の移り変わり
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価格の高騰は猛烈なもので公定価格として制限されていた駅にあるような立ち食いそば店でのかけうどん・そばが戦前(1940年)では15銭だったのに対し、終戦後の闇市での代用うどん(現代でいう魚肉ソーセージのようなものをうどん状にしたもの)の価格は5円(15銭の約35倍)であったといわれています。
1946年にはこうしたインフレーションを打開するため「新円切り替え」と呼ばれる流通紙幣の強制預入と預金封鎖が1946年に行われ5円以上の日本銀行券が失効することとなり、さらにはこの新円切り替え後にも進んだインフレーションによる通貨単位の整理のために1953年に「小額通貨の整理及び支払金の端数計算に関する法律」が施行され1円未満の紙幣と貨幣が失効し、奇しくも終戦前の多くの紙幣と貨幣が失効しました(その後1987年に「通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律」が施行されたことで戦前の金貨が失効したことで1円券を除く終戦前に発行された全ての紙幣と貨幣が失効しました)。
紙幣や貨幣はその時代背景を反映する鏡と言われますが、戦前から戦中に向かって世相の変化によって紙幣や貨幣の図柄も変化してきました。終戦を迎えるとうってかわってハトなど平和的な図柄が用いられました。紙幣や貨幣の図柄を通じて当時の国民の暮らしに思いをはせてみませんか?
一部の紙幣画像は以下の書籍から引用しました:
日本近代紙幣総覧(ボナンザ 1984年)
