文鉄・お札とコインの資料館

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紙幣の印鑑



日本銀行券および日本統治時代の台湾および朝鮮において発行された台湾銀行券および朝鮮銀行券には必ず判が捺印(印刷)されています。これらの判にはどういった種類があってどういった意味があるのでしょうか。




日本銀行券

    ●総裁之印



    ごく初期の日本銀行券を除きおもて面に捺印されている、この判は1888年(明治21年)に発行された改造5円券より用いられています。

    日本銀行券は私たちにとって日本銀行にお金を貸し付けている代わりに、同等の価値として市中で行使できる借用証、小切手のようなものです。

    今でこそ、不換紙幣(金や銀に兌換できない)ですが、かつては金貨や銀貨と交換できました。金や銀はその価値が目で見てわかるもの、紙幣はただの紙に金額を印刷したものにすぎません。その正当性を証明するために日銀総裁が確認し、その価値を証明するという意味合いで総裁の印が捺印されています。

    写真は1930年に発行された乙20円券。金貨と兌換すると明記してある。


    ●発券局長



    1942年(昭和17年)に戦局の悪化に伴い大日本帝国の中央銀行である日本銀行への大日本帝国政府の権限強化を目的とした改組が行われ、その際に発足しました。戦時中の一部の日本銀行券を除き裏面に捺印され、1943年(昭和18年)に発行されたい10円券などより用いられています。

    日本銀行発券局とは紙幣の発注や発行、円滑な流通、還流してきた銀行券の監査、流通にそぐわない紙幣の処分を担当する部署でいわば銀行券の一生を担っています。流通中の紙幣に捺印されている判はその発券局が発行し、流通させていることを証明していています。

    ●金庫局長



    1882年(明治15年)の日本銀行開業時から1898年(明治32年)末まで存在した組織で、地金・銀の売買や現金の収納などを担当していました。1899年(明治33年)に出納局と名称が変更されましたが、金庫局長印が捺印された紙幣は引き続き金庫局長のまま発行され続けました。なお、その後出納局は1942年(昭和17年)に発券局に統合されますが、1945年(昭和20年)に一度復活し、1962年の組織改定で再び発券局に統合されました。

    ●文書局長



    1882年(明治15年)の日本銀行開業時より現在も存続している組織で、開業当時は日本銀行兌換券の製造や保管に関する業務を担当していました。他局へ業務移管時期は定かではないものの、1942年(昭和17年)に組織改定が行われ、管理通貨制度に移行し兌換券としての管理が必要なくなったことからこの組織改定時に他局に銀行券関連の業務が移管されたものと考察されます。

    ●発行局長



    かつて日本銀行券発行前に用いられていた大日本帝国国立銀行紙幣の消却のために設置されていた銀行紙幣支消部が前身で、1890年(明治23年)に銀券局に格上げされ、1896年(明治30年)の金本位制度移行時に発行局に改称されました。銀券局および発券局は銀行券関係の事務全般を担っていました。他局へ業務移管時期は定かではないものの、1942年(昭和17年)に組織改定が行われ、その際に発券局に銀行券関連の業務が移管されたものと考察されます。

台湾銀行券


    ●頭取之印



    1898年(明治32年)に台湾銀行が台湾銀行券を発行してから、1945年(昭和20年)の閉鎖までごく一部の紙幣を除きおもて面に捺印されていました。日本銀行券との兌換を謳っているものにはなりますが、紙幣はただの紙に金額を印刷したものにすぎません。その正当性を証明するために台銀頭取が確認し、その価値を証明するという意味合いで頭取の印が捺印されています。

朝鮮銀行券


    ●総裁之印



    大日本帝国による朝鮮併合直前の1909年(明治42年)に設立された韓国銀行による韓国銀行券よりごく一部の紙幣を除きおもて面に捺印されていました。日本銀行券との兌換を謳っているものにはなりますが、紙幣はただの紙に金額を印刷したものにすぎません。その正当性を証明するために鮮銀総裁が確認し、その価値を証明するという意味合いで総裁の印が捺印されています。なお、この印は日本統治が終了し、大韓民国が設立されてから新ウォン(現在のウォン)が導入された後1962年(昭和38年)に総裁之印がハングルに改められるまで使用されていました。

    写真は1954年に発行された新100ファン券。日本統治時代の朝鮮銀行総裁之印と同じ判を捺印している。


    ●庶務局長



    大日本帝国による朝鮮併合直前の1909年(明治42年)に設立された韓国銀行による韓国銀行券よりごく初期の朝鮮銀行券まで捺印されていました。1920年(大正9年)の組織改定で業務内容が大幅に縮小されましたが、銀行券や資産管理全般の業務を担当していました。


企画展 「円」その歴史と日本社会のあゆみ





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