文鉄・お札とコインの資料館

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大日本帝国陸軍軍旗

軍用手票


戦時中において、占領地や駐留地で軍の物資調達や賃金支払いなどに使用するものである。一見紙幣のようにみえますが、性質としては紙幣ではなく手形にちかく、本来であれば、占領地や駐留地での支払いにおいても即時日本・朝鮮・台湾の各銀行券を使用するのが理想ではありますが、大量に発行することによる自国へのインフレーション懸念および、敵国に自国通貨が渡ることを恐れ軍票が使われました。

終戦後、本来であれば速やかに各地域で使用された軍票を同価値の日本銀行券にしなければならないのですが、敗戦により疲弊し、とてつもないインフレーションにみまわれた日本において到底無理であり、見かねたGHQが支払いを免除しました。

しかしながら各駐留地や占領地においては軍票乱発によりインフレーションとなったり、強制的に軍票に両替されたにもかかわらず、その軍票がもはや紙切れとなってしまったことに猛烈な反発を招き国際問題まで発展したことがあります。

なお、日本の敗戦後、米国が日本国内に駐留する際に軍票を使用しました。券種にはAとBがあり、Aが朝鮮地域、Bが本土および沖縄(米国統治の琉球)で使用され、この米軍の軍票は日本銀行券同様に流通が認められ、日本において唯一外国発行の軍票が法令通貨とされました。

●日露戦争


額面 :
サムネイル :


●支那事変


1937年に盧溝橋事件より勃発した支那事変(北支事変、日華事変)はその長期化と泥沼化により多くの軍票が発行されました。支那事変下で発行された軍票を大きく分けると次のようになります。甲号券は当時としても古くさい縦型の軍票で評判が良くなく、また偽造防止技術なども粗雑であることからとりあえず日本銀行兌換券を使用した乙号券を発行することになります。しかしこれまた日本銀行兌換券などに赤線を引いて加筆しているというあまり見栄えがよくなく、すぐに丙号券に変えられました。その後中国国内での一般紙幣への地位獲得を狙い、龍や鳳凰などをあしらい日本銀行券色を消した丁号券、軍用手票の文字を消し、大日本帝国政府として発行した戊号券が発行されます。
  • 甲号券(1937年〜) - 明治通宝を継承した縦長のデザイン
  • 乙号券(1938年〜) - 日本銀行兌換券の「日本銀行兌換券」や「日本銀行」および兌換文言を訂正線を引き、「大日本帝国軍用手票(100円券のみ"大日本帝国政府")」などを加筆したもの
  • 丙号券(1938年〜) - 日本銀行兌換券からあらかじめ「日本銀行兌換券」などの文言を抜き、そこに「大日本帝国軍用手票」などを挿入したもの
  • 丁号券(1938年〜) - 龍や鳳凰などをあしらった新規デザインで「大日本帝国軍用手票」と銘言があるもの
  • 戊号券(1939年〜) - 丁号券の銘言を「大日本帝国政府」に変更し、記号および番号(低額券は省略)をいれたもの
  • ろ号券(1940年〜) - 軍隊内部の支払いにのみ使用されたもの。丁号券の記号部分に「ろ」と入っている
またこのほかにも占領各地域で独自に印刷したものや、敵国の謀略により作られた異なった意匠および配色のものも存在します。



●太平洋戦争(大東亜戦争)



太平洋戦争(大東亜戦争)中においては戦局の拡大により、占領地および駐留地各地域の通貨単位およびふさわしい図柄をいれた軍票が使われました。戦争末期には軍費の逼迫により、大日本帝国政府から建前上は独立している現地でのみ通用する通貨を発行する「南方開発金庫」が設置され、1943年には無制限に「南方開発金庫券」を発行できる法を制定し、発行した金庫券を日本軍に貸し付けることで、戦費を賄っていました。しかしそれは事実上「軍票」となんら変わりなかった上、際限なく発行され続けたため膨大なインフレーションを引き起こしました。また、この時期には制空権、制海権を連合国に握られていたことにより、現地で製造されたものが多くあります。



●在日米軍軍票



太平洋戦争(大東亜戦争)の敗戦後GHQ(連合軍総司令部)の布告により発行されました。AとBの2種類あり、主にAが朝鮮地域、Bが沖縄(米国統治下の琉球)で使用されました。そのうちBに関しては、ごくわずかの間本土でも使用されました。この軍票は日本において唯一外国発行の軍票が法定通貨となりました。図柄はすべて彩文で、肖像などは一切ありません。




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